■00|はじめに
マッチングアプリで距離が縮まっていく感覚と、急に温度が冷えていく感じ。その落差は何度経験しても慣れない。やり取りが途切れがちになり、こちらのメッセージは既読だけが積み上がり、相手の反応は消えていく。
そんな状況で「誕生日」というピンポイントのイベントが来たとき、私は一つだけ短いメッセージを送った。これは“期待”ではなく、“ジャブ”だった。
多くの人は「返信がないなら引け」「黙ってフェードアウト」という価値観を支持する。だが私は、あえてそこに抗いたかった。
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■01|マッチングアプリで距離が詰まる前と、冷えた後
最初は互いに積極的だった。日程調整もスムーズで、実際に何度か会い、会っている最中は確かな熱があったと感じている。正直、未来の想像もしていた。
だが数週間後、温度は一気に落ちた。
返信は間延びし、スタンプひとつにも既読がつかない。こちらの投げた球は、宙に消えていく。明確な拒絶はない。ただ、何も返ってこない。
この「沈黙」が最も厄介だ。
終わりとも続きとも言われない宙ぶらりんの状態は、人に判断を丸投げさせる。
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■02|数日あけて、誕生日だけジャブを打った
そこで私は数日間、連絡を断った。自分の気持ちを鎮めるためと、相手の温度を観察するためだ。
そのうえで、誕生日当日に一通だけ送った。
「誕生日おめでとう。良い一年になりますように。」
たったそれだけ。
会いたいとも、会おうとも書かない。ただの短い挨拶。
それでも意味はあった。
これは「関わる意思を確認する行為」だった。
このメッセージに対して、反応があるか。開かれるか。スルーされるか。
その結果が、関係の現在地だと思った。
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■03|“沈黙”は優しさなのか、ただの責任回避なのか
返答はなかった。未読のまま。ブロックもされない。
つまり、
• 関係を切る意思表示はしない
• しかし関わる姿勢も見せない
この状態は、相手が判断を避けている証だと思っている。
だが、世の中ではこれが“主流”だ。
• 衝突を避ける
• 嫌われる行為はしない
• 明確なNOは言わない
• その代わり黙って離れる
こうした日本的なコミュニケーションは「優しさ」と呼ばれる。
私はそこに強い違和感がある。
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■04|多数派の“空気の恋愛”と、少数派の“言葉の恋愛”
私の価値観は明確だ。
• 続けたいなら言えばいい
• 終わらせたいなら終わらせると言えばいい
• 判断を相手に投げるのは不誠実だ
だが、この考えは少数派だと思う。
今の日本では「沈黙」こそ礼儀で、「明言」は攻撃になる。
その結果、フェードアウトは文化として許容されやすい。
ただ、多数派が正しいとは限らない。
「言ったら傷つける」の裏側には、
「傷つける役を自分が負いたくない」が潜んでいる。
それは優しさではなく、責任回避だ。
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■05|誕生日LINEを“送らない勇気”より、“送る覚悟”
誕生日にメッセージを送らないことは簡単だ。
そのまま何も起きず、関係は自然死する。
だけど私は、沈黙に流されるよりも一度ジャブを打ちたかった。
それが返ってこなければ、それで答えが出る。
そのほうが、私は自分の感情に対して責任を持てる。
他人に期待しているようで、実は自分のための選択だった。
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■結論|誠実さとは「どちらかを選ぶこと」
誠実とは、好きとか嫌いとかより手前にある。
• 立ち止まらず、決めること
• 関係を曖昧に残さないこと
• 判断を丸投げしないこと
多くの人は“楽”なほうを選ぶ。
私は“向き合う”ほうを選ぶ。
文化に馴染まなくてもいい。
少数派で構わない。
私は、曖昧さより誠実さを信じている。
■関連記事(今後追加予定)
- 沈黙と誠実:フェードアウト文化について
- 返信が来ない心理の整理
このテーマが刺さった人に向けて、
今後は「沈黙と誠実」「フェードアウト文化」なども掘っていきます。今後ともよろしくお願いします。
